小池百合子はカイロ大学を首席で卒業したという経歴を持って、若い頃はキャスターとして、その後国会議員、大臣、都知事とキャリアを築いてきました。
経歴詐称がバレそうになった時、駐日エジプト大使館のフェイスブックにカイロ大学声明という形でカイロ大学を卒業しているという記事をあげさせた。
当時小池氏の側近だった小島氏が、「カイロ大学声明は、実は小池氏が頼んだジャーナリストが書き、結果的に学歴詐称疑惑の“隠蔽工作”となった」と告発した。
小池百合子がカイロ時代に同居していた北原百代さんがこの度、日本の歴史に関わることを黙っておけないと真実を詳細に告発した内容を以下、紹介します。
追加でアラビア語をきちんと話せるか、飯山あかりさんが、小池知事のアラビア語力についてはっきり評価された動画を載せています。
同居人 北原百代
小池百合子との同居時期は2回
1972年5月から1973年2月
1976年1月から12月
カイロで小池百合子と住み始めたときは、まだカイロ大学に入学していなかった。
アラビア語なんか勉強しなくてもお父さんがドクターハーテムが仲良しだから2年生に入れるように今交渉中なの
実際、同居初めて半年たった1972年11月に、小池百合子はカイロ大学に入学が決まった。
アメリカン大学から編入という形だった。
小池百合子の公式では「カイロ1972年10月に1年生に入学と発表」
実際は「1973年コネで2年生編入」
カイロ大学は1年生から2年生に上がるのが一番難しいと言われるので、2年生から入学できることにみんな驚いた。
同居していたが、小池百合子がアラビア語を学ぶ人に見えなかった。
アラビア語は全く話さなかったけど一回だけテーブルに開かれたノートにアラビア語が書いてあるのを見たが初歩的なアラビア語だった。
どこでアラビア語を勉強してるかという話も聞いたこと無い。
1972年末、急に現地の日本人と結婚をすると言って、1973年2月から別に住むようになって一回目の同居生活が終わった。(時系列で考えると、2年生に編入した途端に結婚)
3年後また北原さんの前に現れて、「離婚したから試験勉強したいから一緒に暮らしたい」といって戻ってきた。
このときは一生懸命試験勉強していた。
進級試験5月に受け6月が発表で、不合格だった。
不合格でショックを受けた後、たまたま向かい側に住んでるカイロ大学の先生に
「ちょっと聞いてくる」といって出ていった。
帰ると
「びっくりした!カイロ大学文学部の教授だった。知らなかった。」
と話していたという。
この時点で学校に通っていなかったから知らなかったのではとも考えられる。
2年生からスタートし、3年経っている時点で、4年生になっていないことを考えれば、留年している計算になる。
結婚していたから実際通っていなかった可能性もある。
追試を受けて再チャレンジのチャンスが有るか先生に聞いたら、
あなたは最終学年でないから追試を受ける資格ない
最終学年ではないということはこの時点で4年生になっていない。
本来なら2年生から入って3年経ってるので、5年生、1年留年ぐらいのはずが、4年生にもなっていないというのは、3年生にもなっていないかもしれないということか。
ちょうど新婚の時期に当たるので、3年生に上がれなかったかもしれない。
北原さんはこの時、まだ4年生でなかったことはびっくりしたそうです。
公式発表
1976年10月に試験受けて12月に卒業 カイロ大学は試験は5月しかないので虚偽
試験に不合格だった後、もう学校にはいかずに、
1976年7月はじめJALのカイロ支店にアルバイトに行く。
1976年8月に日本人を含めた飛行機が、カイロでハイジャックされる事件発生!(アルバイト始めた翌月)
後日、日本の新聞に
日航カイロ駐在員という肩書で小池が日本の新聞に出てインタビュー時応じていた。
そこにはカイロ大学の学生とは言わず日航の駐在員という肩書で取材に応じていて北原さんは驚いた。
更にその直後、1976年10月サダト大統領夫人が日本に行くことになった。
父に命じられ緊急で日本に帰国し、小池は大統領夫人に近づいた。
大統領夫人が日本に来るまでに2週間、マスコミに自分を売り込んだ。
11月に小池はカイロに戻り、見せられた新聞記事にカイロ大学卒業と書かれていて驚いた。
カイロ大新卒唯一の日本人女性と書かれていた。
ここで小池百合子のカイロ大卒業の経歴が出来上がった。
カイロに戻って荷解きをしながら新聞に載った話を嬉しそうにしていたので、
「カイロ大卒業になっているけれど、そういうことにしたの?」と聞いたら、
「うん」と
翌12月に日本に小池は帰国することになり、
「帰ったら本を書くからと、そこにはあなたのことを書かない。書くとバレちゃうからごめんね」
と言われ、口止めのつもりか、真珠のブローチをもらった。
その後北原さんは、小池の秘密を持って過ごすのが胸が痛かったという。
最初、テレビに出ていた頃は「本当は卒業していないのにいいの?」とおかしいぐらいの気持ちだった。
それが国会議員、大臣、都知事になった時、「え?本当にいいの」と思った。
公職選挙法に反しているのにどうしてのうのうと議員でいられるんだろうと
小池さんが権力を持つようになってから権力者の秘密を知る者として怖くなった。
権力が強いほど自分の立場は、いない方がいいはずだから、私はいつでも消されるのではないかと思った。
日本の歴史の中でこれはまかり通ってはいけないと思い、雑誌や新聞に訴えたかったけれど、その機会をもらえなかった。
新聞社に投書したり、議員のオフィスに行って話した。
でもみな、権力者を恐れていて相手にされなかった。
文春に話して、やっと話を聞いてもらえた。
小池さんには、真実を知っている私の苦しさを知ってもらいたい。
また報道する立場のマスコミは、真実から目を背けず正しい報道をしてほしい。
1972年の同居から全ては始まった。
同居はじめ、コネで秋に無事カイロ大学2年生に編入。
編入した途端、結婚して、すぐ同居を解消。
それから3年後、順調なら大学4年制のところ、5年生になっている時期(つまり途中留年しているのか)に北原さんと同居しに戻って、今度は真剣に勉強し、試験をパスしようと努力をしていたが、不合格。
しかもここで4年生になっていないことが判明。
本人は大学卒業を諦めたのか、試験落ちた後に7月からJALにバイトに入る。
翌月8月にジャイジャック事件が起き、ただのバイトのはずが、日本の新聞にJALのカイロ駐在員という肩書でインタビューに応じて記事になっていた。(バイト歴もたった1ヶ月)
その少し後に大統領夫人を日本でもてなし、カイロ大新卒唯一の日本人女性という肩書を初めて使い、新聞にまた載った。
ここで小池百合子のカイロ大卒業経歴が出来上がった!
バイトに入ってすぐにハイジャック事件が起きたり、大統領夫人が日本に来たり、小池百合子には何か普通なかなかない運がついているのかもしれない。