この度、脚本家としての立場を養護するため、日本シナリオ作家教会が出した動画がひどすぎることが話題になりました。
あまりに芦原妃名子先生の今回のことを未だ非難し、自分たちが被害者だというスタンス、心無い一方的な保身を述べていたため、多くの非難が殺到。
今は動画を消してしまっています。
動画内容の爪痕はSNSにはしっかり残っているので紹介します。
クリエイターのストーリーを生み出すときの努力や苦しみを全く無視し、脚本家の作品とはそもそも別物だから文句言うなというスタンス。
消してもこの爪痕はみんなで共有し、課題を風化させないようにここに紹介します。
日本シナリオ作家協会 理事
ENBUゼミナール映画監督コースシナリオ口座講師
*荒井晴彦 日本映画大学教授
2006年:松本清張スペシャル・指(荒井晴彦と共同脚本)
2008年:蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ 第4章
2013年:怪奇大作戦 ミステリー・ファイル 第3話「闇に蠢く美少女」
2014年:ウルトラマンギンガS 第6話・第9話「取り戻す命」
2015年:ウルトラマンX(小林雄次・中野貴雄・小林弘利と共同シリーズ構成)
2016年:荒地の恋
2018年:プラスティック・スマイル
2020年ハムラアキラ〜世界で最も不運な探偵〜(2020年、木田紀生と共同)
2021年:#居酒屋新幹線
2023年:私と夫と夫の彼氏(今西祐子と共同)
特撮などの経験もされています。
原則の1番を見てください。
オリジナル脚本の脚本家は原作者として尊重されなければならない。
原作があっても脚本家の手を通したら、それは脚本家の作品として尊重されなければいけないので原作者の手を離れた段階で、もう原作者の作品とは別物だから、文句は言うなと言う考え方でしょうか。
原作を参考にしているにも関わらず、自分のオリジナル作品として、全く別のものだという考え方です。
原作が素晴らしいから、ちょこっと手直しした作品も評価され他に違いないわけで、原作にかなり助けられて作った作品であることを忘れず、原作者に敬意を持ってほしいと感じますが、自分独自の作品として生まれ変わってしまい、切り離されてしまうようです。
SNSで拡散されている、黒沢久子のセクシー田中さん作者への批判がひどすぎるなど、多くの人から批判のコメントが殺到しています。
中身を見てみましょう。
亡くなった芦原先生に対して
この言葉は多くのセクシー田中さんファンの気持ちを逆なでしました。
また「脚本家と原作者は同じ作家だから衝突して仕方ない」
と、原作者とそもそも意見交換したり話し合う気持ち、態度が感じられないところが今回の悲劇を引き起こした原因だったのでは?と皆感じています。
という発言ですが、当たり前です!
みんな原作のファンなんです。
原作に感動し、映像化したのも見たいと思うほど、原作が心に残ってる視聴者なんです。
題名も変えて全く別物としてのドラマなら構わないのですが、同じ題名を名乗るなら、原作が好きでファンだったみんなの気持ちを理解しようと何故してくれなかったのかと思うから、みな、SNSで怒っているのです。
どんな派閥ですか?
よっぽど政治家の派閥のほうがマシに聞こえます。
海猿の作者の方も、似た経験を語られていました。
現場で原作者は興味も持たれずほとんど無視された経験を語っていました。
なぜ作品の生みの親に、制作に関わる人達は興味もないのでしょうか。
悲しいですよね。人として、普通にあいさつしたり、お互いお世話になっていますぐらいの気持ちの交流があってもいいのでは?
東野圭吾氏について
「あんな奴とは会ったこともない」
あんなヤツって呼びますか?なら東野圭吾氏野書く小説はみんな大好きで素晴らしい作家だと思っています。
あんなヤツとか言う必要がまずないと感じます。
普通に、「面白い作品を書いてくださってありがとうございます。自分なりにみんなに喜ばれるように作品を作りますね」ぐらいの声をかけるのは社会人として当たり前のコミュニケーションではないでしょうか。
自身がSNSに投稿したドラマ脚本に関する発言について「SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています」と反省し、「もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。あまりにも悲しいです」と悲痛な思いを吐露。「事実が分からない中、今私が言えるのはこれだけですが、今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います」と呼びかけた。
多くの関係者が哀悼や謝罪のコメントを出すなか、かなり遅れたコメントになり、一番最初に何か話すべきだったのではという今更感がなくはないですが、このコメントを最後にアカウントも閉鎖するということで、しばらくは、表とのつながりを断たれるのかもしれません。
後は小学館からの説明だけがいまだ沈黙を守り続ける方向のようです。
脚本家は今回のセクシー田中さんの悲劇に対し、ますます被害者意識を高め合い団結して自分たちの立場が正しいこと、それに対し批判する人を誹謗中傷扱いですが・・
大切な命をもって、この状況に何かを訴えたかった芦原先生の気持ちは、届くことはないようですね。
本当に残念です。
一緒に一つの作品を作るパートナーという意識を持ってお互いリスペクトしあいながら仕事をしたら、もっといい作品ができるのにと思います。
この場に及んで、「私は原作者に会いたくもないとか会ったこともない」とか、今言う必要はあるのでしょうか。
またそういうことを言う人に、大切な原作を渡せない、わたしたくないのは当たり前だと思うのです。
原作者と脚本家は常にお互いリスペクトしあって、協力しあって作品を作っていく現場に変わってほしいと思うだけです。