光る君への脚本家の大石静さんは、大河ドラマの話が来た時、「平安時代」と聞いて、大河ドラマに平安?というのがあり、戸惑ったといいます。
でも、結果仕事を引き受けた。
制作発表の時、プロデューサーが「題材は紫式部で平安です」といった瞬間、記者席が静まり返った。
そこで慌ててなんか言わなきゃと「華麗なる一族とゴッドファーザーを足して3倍にしたぐらいの権力闘争と、セックスアンドバイオレンスを書きたい」
ととっさに言った言葉が独り歩きしたそうです。
光る君へを執筆するに当たり、宇治の平等院に取材でうかがった際には、ご住職から丁寧にお話を伺ったそうです。
鳳凰堂は阿弥陀如来がいる極楽浄土を再現していて、仏たちが雲に乗って鉦や太鼓を鳴らしたり舞ったりしながら死者を賑やかに迎えに来る様子を表しているそうです。
天国にいる現世で親しかった人たちが、迎えに来てくれる絵が描かれているのです。
それからまもなくして夫が他界された時、息を引きとる3時間ほど前、夫が突然病室の白い壁を指して、「みんなが楽器みたいなのを叩いて踊っているよ」と言ったそうです。
宇治の平等院で聞いた、現世で親しかった人が楽器を鳴らして本当に迎えに来たのかと驚いたそうです。
ですが、悲しむのは光る君への脚本が仕上がるまではしないと決め、現場で一緒に働く多くの人たちに感謝しながら、今は番組制作に集中されています。
キャスティングは、脚本家と、プロデューサー、チーフ監督で話し合い決めたそうです。
一人が1年間演じ切るには腕のある役者ではならなかった。道長は3人共柄本佑で一致したそうです。
柄本氏は、イケメンではないけれど、ゾクッとする色気があり本人もそのあたり計算しているだろう。
さらに想像力、激しいところまで自分を振り切る勇気があるところ、DNAレベルで役者で本能的に演技することが何かを知っているからだそうです。
吉高由里子さんは、誰が見ても色気がある。
気難しいヒロインを吉高由里子の色気と可愛らしさで立体化なる紫式部になっているそうです。
脚本家は、正しい歴史とは少し話を変えることで視聴者似感動を与えている。
歴史小説を書いたのであって、歴史を書いたわけではないと考えて、歴史とは違う紫式部と藤原道長を描いたそう。
脚本家といえば、相沢友子さんが、原作を変えたことで、思いがけない事になり、脚本家のむずかしさを考えさせられたばかりですが、「光る君へ」は原作があるわけではないのでそこは自由に演出されています。
実際、作 大石静
と出てくるので、あくまでも脚本家というより作者として携わっていて、自由度が高い。
今回は8時という時間なので、そこまで官能的な場面はないなりに少しずつまぶしているそうです。
それが今回の「光る君へ」にも早速現れましたね。
NHKとしてここまで大胆でいいの?とネットで話題になるほどの、美しい官能シーンがありました。
画像が美しく、切なく、悲しい愛・・
現代は、LINEで付き合ったり離れたり簡単に即日いろんなことができる。
だからこの時代の、和歌を下のものに届けさせ、お互い心を伝え合う美しさを感じました。
道長からは恋の和歌が届くが・・
紫式部からは
漢文の返事が来る。
漢文は志を解くものと言うことで、せっかく恋文を出すのに、紫式部からは、恋というよりは、こういう志でいてほしいという内容を送り続ける。
自分がほしい答えでないから道長は悩むが、そんな相手の気持を探り合う文のやり取りは素敵ですね。
なんと、道兼に母が刺された話をしたシーンと同じ日に、この美しいシーンを撮ってるので、全く気持ち地やテンション野違うシーンを同日に撮ってクタクタというのがよく解ります。
役者さん手すごいですね。
いろんな気持ちに自分を持って行けて・・
左利きの吉高さんが、右手で美しい文字を書いて行くシーンが有り、どれだけ努力してこのシーンを撮ったかが解ります。
聞き手でもこんな美しい字書けないですよね。やはり主役に選ばれる俳優さんは、努力も違うと感じました。
光る君は光源氏ではなく道長のこと?
光源氏は道長をモデルとも言われています。
当時、高級だった紙などを、道長は紫式部に実際支援したりと、道長はにとって当時紫式部は特別な存在だったことは間違いないそうです。
また清少納言は、どちらかというと、自分がいる宮中外貨に素敵かをよいしょするエッセイに対し、紫式部は人生観や生きることの虚しさ、人生哲学を描き作品としての格が違うそうです。
この先も展開を楽しみにしましょう。
Xで、笑える投稿を見つけたので共有させていただきます。
お笑いのロバート秋山が扮する藤原実資、今回は主要な役どころをされていますが、貴族にしては色黒すぎとネットで話題でした。